すべてにおいて本物を追求するハウステンボス。そのひとつの極みがパレスハウステンボスといえるでしょう。なにしろ、オランダ王室の特別の許可のもと、同国の前女王であるベアトリクス女王陛下がお住まいになっていた(現在はウィレム=アレクサンダー国王 がお住まい)宮殿外観を再現しているのです。その背景にはハウステンボスと同国との間に強い信頼関係があったのですが、今回はそれをより強固にしたあるエピソードの紹介から始めることにしましょう。
4000万円を捨て信頼関係 強固に
「2ミリ広い」。ハウステンボスグランドオープンまでわずか1年しか残されていない1991年3月、すでに施工が終わっていたパレス ハウステンボス東ウイングのレンガの外壁をチェックしたオランダ側責任者が、レンガとレンガの間の目地の幅が本国のそれよりわずかに広いことを指摘。工事が一旦ストップする事態が起きました。
施工済みの面積は200平方メートル。これを取り壊し、やり直すとなると4000万円の費用が発生し、なおかつ工期的に間に合わない可能性もありました。やり直すか、そのまま続行するか。判断に迷い、結論が出るまでに時間がかかるようなケースです。でも、決断は早いものでした。ハウステンボスはやり直すことにしたのです。
「日本側は本気だ」。オランダ政府はあらためてそう感じ、ハウステンボスに寄せる信頼もさらにあついものになったといいます。
官民あげての協力で建物に命宿る
ハウステンボスとオランダとの関係は「長崎オランダ村」時代に始まります。開業当初、風車と売店だけだったオランダ村は時代の波にのって急成長。やがて両国間の文化の架け橋として、オランダ王室や政府から認められるまでになっていました。 だから、1987年、ハウステンボスという新規プロジェクトが立ち上がった際、宮殿の名前である「ハウステンボス」を一リゾートの呼称として用いることを王室は許可し、女王のお住まいである宮殿再現も承諾。ハウステンボス側工事関係者の実測まで認めたのでした。
一方、オランダ実業界とのパイプも太いものとなりました。そのひとつの証がトップドームに輝く王冠です。王冠はオランダの宮殿と同じ形、同じサイズで,高さ1メートル70センチ、幅は90センチ。オランダで150年以上の歴史を誇る銅装飾会社ロンバウト社が手がけ、銅製金箔仕上げになっています。「官」の協力のイメージが強かったパレス ハウステンボス建設ですが、この「民」からの王冠贈呈により、 建物は官民あげて命が吹き込まれたといっていいでしょう。 なお、パレス内「壁画の間」入口右手では、王冠贈呈に寄与したオランダの企業、KLMオランダ航空、ハイネケンなどの名を記したボードを見ることができます。
17世紀の珍しい時計まで再現
外観で注目していただきたいのは東ウイングの端。上を見上げると大時計があります。この時計が面白い。なんと時を示す針が1本しかありません。
実は宮殿が建造された17世紀、時計には今でいう短針しかありませんでした。当時の人々は、例えば1時と2時を示す間に針があっても「分」に相当する時間をだいたい推し量り、それで事は足りていたのです。
ちなみにこの位置に時計があったのは、時計の延長線上に宮殿衛兵の詰め所があり、交代の時間を知らせる役目をもっていたからです。
ところで時計はその後、今と同じ分を示す長針がつけられるようになりました。宮殿のものも改良されてしかるべきだったのでしょうが、時を知らせる相手が衛兵という限られた人たちで公共性が低かったため、17世紀当時のままに残されたようです。
「忠実なる再現」はこうして中世の珍しい時計までも長崎の地に登場させました。
この街が奥の深さを感じさせるのは街づくりの背景にこんなストーリーが流れているから、そして「目地も文化である」という思想が建物再現に貫かれているからでしょう。その象徴がパレス ハウステンボスなのです。